エムエスツデー 2007年5月号

ITビジネスから見た海外事情

第5回 アウトバーンのドイツ、ロータリーのイタリア

酒井ITビジネス研究所 代表 酒 井 寿 紀

アウトバーンのドイツ

 1980年代に、ドイツの会社とイタリアの会社に付き合いました。当時は両国の国民性があまりにも違うので戸惑ったものです。国民性の違いはクルマの運転の仕方にもよく表れていました。

 ドイツはアウトバーンの国です。制限速度がないので時速200キロに近い速度で走っているクルマがたくさんいました。時速200キロで時速100キロのクルマに追突すると、時速100キロで障害物にぶつかるのと同じですから大変な事故になります。そのため、追い越しは左側、つまり中央分離帯寄りの車線でする決まりで、これはよく守られているようでした。日本のように、右からも左からも追い越すようなことはありません。

 そのかわり、遅いクルマが速いクルマに追いつかれると、右の車線によけて道を譲らなければなりません。そうしないと、後ろからクラクションを鳴らしたり、ライトを点滅させたりして、無理やり押しのけていました。ドイツに駐在していた人の話では、アウディーはベンツに追いつかれると道を譲らなければならず、ベンツもポルシェに追いつかれると道を譲らなければならないということでした。

 このようにドイツ人は規則の遵守に忠実なようです。ビジネスの世界では契約の重視ということになります。そして、スピードの遅いクルマを押しのけるような、認められた権力の行使を当然のこととして実行するようです。このように、規則の重視と権力の行使で、ドイツの社会は秩序が保たれているのではないでしょうか。

ロータリーのイタリア

 一方、イタリア人の運転はだいぶ違います。ローマなどの交差点には、ロータリーになっていて信号がないところがたくさんあります。大理石の彫刻や噴水が中央にあるロータリーをクルマが反時計回りに流れていて、四方八方からそれに合流し、また四方八方に散って行きます。よくぶつからないものだと感心しますが、暗黙の了解があるようで、実に整然と流れています。信号機付きの交差点だと、信号の切り換え時に、いったん交差点の中を空にする必要がありますが、ロータリーだと常にクルマを流すことができます。また、対向する道路にクルマがいないのに赤信号で待たされることもありません。見方によっては非常に合理的です。もっとも、ローマなどにロータリーが多いのは、ちゃんとした十字路でなく、五差路、六差路などが多いので、信号のつけようがないためもあると思います。

 イタリア人はその場その場に応じた現実的な解決策を見つけるのが上手です。あるとき、クルマに分乗して昼食を食べに行きました。レストランの駐車場で、隣のクルマが、出るときに同行したイタリア人のクルマにぶつかりそうでした。すると、その人は、自分のクルマを停め直したりせず、「みんなちょっと手を貸してくれ」と言って、隣の小型車を持ち上げてずらしてしまいました。その人は、「最も速い解決策だ!」と言って澄ましていました。

 このように、その場で最も簡単で実際的な解決策を思いつくことに関しては、イタリア人は天才的です。そのため、ビジネスでも契約が重視されないことがあります。「契約はそうだけど、現に困ってるのだから何とかしてくれ」という具合です。

イタリア人が大食いなわけ

 イタリア人とはよくいっしょに食事をしました。彼らは大食いで、普通の前菜の後、第2の前菜としてパスタを1皿平らげ、それからメイン・ディッシュに取り掛かります。そのため、彼らの食事に付き合うときは用心しました。それでも、失敗したことがあります。

 夕食に招待されたとき、いっしょに行ったイタリア人が、「この店はバイキング式の前菜がうまいから取りに行こう」と誘いました。確かになかなかの味だったので、「うまい、うまい」と言うと、その人は、「じゃあ、もう一回取りに行こう」とまた誘い、食いしん坊の私は誘惑に負けて、その日は結局前菜だけで3皿平らげてしまいました。

 そのあと、正式な夕食では欠かすことのできないパスタを1皿食べ、もうお腹がいっぱいでした。しかし、食事に招待されてメイン・ディッシュを食べないわけにはいかないだろうと、一番軽そうなものを注文しました。するとその人は、「俺はメインはパスする」と澄ましています。型通りに注文した私は、肩透かしを食ってしまいました。しまったと思いましたが、もう手遅れでした。イタリアでは何事も型にとらわれない方がいいようです。

 イタリア人はおしゃべりです。食事中ものべつ幕なしに話をしています。初めのうちはわれわれ日本人を意識して英語で話してくれるのですが、そのうちアルコールが回り、議論が激昂してくると、彼ら同士の会話はいつの間にかイタリア語になっています。そうなると、われわれはもう完全に蚊帳の外です。

 議論がひとしきり続いたあと、次の料理が出てきて、「じゃあ食べよう」ということになります。イタリア人があんなに食べられるのは、料理の間に、身振り手振りを伴って大声で議論して腹ごなしをするからだと思います。その間、蚊帳の外に放り出されていたわれわれは、腹ごなしが不十分なまま次の料理に挑むことになります。

 われわれ日本人から見ると、イタリア人は会社の仕事より個人の生活をはるかに大事にしているように思われます。イタリアへ行ったとき、「明日はもう仕事はいいから、デパートに買物に行こう。われわれは日本のコンピュータを買ってるんだから、あなたがたは奥さんにイタリア製品を買って帰らないといけない」と言われました。そして、7月、8月は夏休みで、まったく仕事になりませんでした。「遊ぶために働くんだ」という考えが徹底していました。日本の「猛烈サラリーマン」や「会社人間」とは大違いでした。

何とかなれば「ノー・プロブレム!」

 昔の話ですが、ローマの街でスリに財布をすられて往生したことがあります。まず、何はさておき警察に届けなければと、警察に行きました。「トレビの泉のそばで財布をすられた」と言うと、英語のできる警官は、「ああ、あそこにいるのはユーゴースラビアから来たジプシーだ」と言います。内心、「わかってるんだったらさっさと捕まえろ!」と言いたくなりましたが、そんなことを言っても始まらないので、言われたとおりに手続きを済ませました。

 すると、その警官は、「パスポートは領事館に行けば再発行してくれる。航空券は航空会社へ行けば再発行してくれる。クレジットカードとトラベラーズチェックも金融機関で再発行してくれる。あなたが失うのは現金と財布だけだ。財布は3分の1の確率で出てくる。ノー・プロブレム!」と言いました。その警官が言ったほど簡単ではありませんでしたが、確かに現金と財布以外は翌々日には取り戻せました。危害を加えられたわけでもないので、警察が扱う事件の中では、警官が言ったとおり「ノー・プロブレム」の部類だったのでしょう。

 何から何まで盗られて青くなっているときに、平然と「ノー・プロブレム!」と言われたときは愕然としましたが、航空会社や金融機関のしかけを使って被害を何とか許容範囲内に抑えることができれば、イタリア的には「ノー・プロブレム」なのです。列車や飛行機が多少遅れても「ノー・プロブレム」、タクシーのドアが開かなくても、反対側から乗れれば「ノー・プロブレム」なのです。日本人とは判断基準がだいぶ違い、違和感を覚えますが、イタリア人と付き合っていくにはこういう違いも理解する必要があります。そして、日本人もこういう「適当」で「いい加減」で「実際的」な判断基準をもう少し学ぶべきかも知れません。


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