エムエスツデー 2005年2月号

計装 今昔ものがたり

第2回 空気圧メカニズムから電子回路へ

早稲田大学 理工学総合研究センター 客員研究員 深 町 一 彦

むかしむかし

 図1は、昭和30年代前半の、代表的ないろいろな計器が、ひとつのパネルに混在した大変珍しい写真です。何かの展示パネルかも知れません。大型の空気式調節計から小型計器に移行してゆく過渡期を象徴しています。

 どうして空気式かって? エレクトロニクス技術がまだ夜明け前だったからです。トランジスタもまだ充分普及していませんでした。ラジオもテレビも真空管の時代です。記録計は真空管アンプで作動していました。そうした中で、調節弁を作動させる動力源として最も扱いやすい空気圧を利用し、調節機構も空気圧メカニズムで作ったのではないかと思います。油圧の調節機構もありました。油圧のPID動作もなかなか味わい深い構造ですが、何しろ大掛かりで、その点空気式の調節機構のほうが気軽に扱えました。

図1 昭和30年代前半のいろいろなパネル計器

全空気式計装

 空気圧伝送のフィールド機器(その代表的なものはなんといっても差圧伝送器ですが)が現れ、同時に大きかったパネル計器も前面6インチ角の小型計器に置き換わり、集中管理と呼ばれる、調節計がぎっしり装着されたパネルが計器室に鎮座するようになりました。測定値を空気圧に変換して伝送し、調節計も記録計も空気圧作動、そして調節弁はもちろん空気圧で作動します。全空気式計装の時代でした。入力信号に対応した空気圧で回る小さな空気タービンを内蔵した流量積算器には、吃驚して感心しました。何もかも空気メカニズムで対応することには多少の無理もありましたが、折から、石油、石油化学プラントの建設が相次ぎ、空気式計装工事は爆発の危険がなく安心して使われました。

 空気式制御装置のPID演算は、空気式メカニズムの中に絞り抵抗と容量タンクを装備して、空気圧のCR回路によって作られていました。計器の中に収まる小さな容量で、実に微細な絞りを使って数十分といった積分時間を作るのですから、わずかなゴミでも詰まってしまいます。アンチリセット・ワインドアップなどという高度な論理機能は作れなかったので、プラントの操業立ち上げ時、手動から自動にスイッチするときは、繊細な注意と操作をもって切り替えたものです。それでも、余り積分時間の長い系では待ちきれなくて、積分絞りのニードル弁を一度全開にしてからまた元に戻すといった荒業も使われました。今でいう裏技でしょう。

 経験しない人には、何をお話しているのか想像できないでしょうから別の喩えを入れます。
 今では車の運転はオートマチックが普通ですが、当時は当然マニュアルシフトが主流で、しかもシンクロ機構が不完全で、低いギヤにシフトダウンするときは、ダブルクラッチといって、ミッションをニュートラルにして一度クラッチを当てて、ギヤ同士の回転速度を合わせてからギヤシフトをしたものです。上り坂の途中などではなかなかスリルのあるスキルでした。この喩えも想像できないかな。

電子式の時代へ

 やがて、電子式の時代が来ます。なんと真空管アンプを使った電子式もあったのです。今でこそ管球アンプはマニア垂涎ですが、直流増幅を必要とする計測の世界ではなかなか大変なもので、比較的短期間にトランジスタが普及して入れ替わりました。エレクトロニクスの開花期で、次々と新しいエレクトロニクス素子が発表されて製品の概念を根底から塗り替えてゆきました。

 今にしては誰もが当然の流れと考えるでしょうが、それまでは精巧なメカニズムの粋を凝らしていた世界にあったので、プロ野球オーナーにネットワーク企業が参入したような騒ぎもありました。

 あんな、作動が目に見えないような回路を信頼して、大事故でも起きたらどうするとメカニズム派がいえば、空気など応答が遅くて高度な制御に耐えない。パネル室で空気圧を操作してから走って現場に行っても、調節弁はまだ作動中で自動制御の意味がない、とエレクトロニクス派が嘲る、といった有様でした。

 要するに、当時は機械技術者と電子技術者のスキルが画然と別れていて、お互いを苦手分野として、劣等感と不信感をぶつけ合っていたに過ぎません。

 ちなみに空気圧のために弁護すれば、ポジショナを採用するなどして、容量負荷が小さくなるよう適切に配慮した空気圧伝送なら、そんな荒唐無稽な事態は生じません。それに、確かに電気の伝わる速度は世界で一番速いですが、電子回路による論理演算は実はそんなに速くはないのです。今のDCSのデジタル演算にいたっては、1周期1秒です。

 なんといっても論理機能を作るにはエレクトロニクスのほうが明らかに有利で、その上摩擦や磨耗、素材疲労などといった機械系特有の悩みから開放されたのが大きいことでした。

 一方エレクトロニクスの限界は、論理世界から実世界に直接出られないことで、プロセスに密着する部分には、ますます高度な機械系要素が必要になり、ひとつの機器の中に電子回路と機械の融合的な棲み分け(と私が呼んでいる)現象が進行しています。

図2 集中管理パネル

電子回路がもたらしたもの

 論理機能がエレクトロニクス化するにつれて、生産現場の文化に生じた大きな変化は、製造技術と品質管理の大きな部分が素子メーカーに移ったことです。メカニズム製品の場合、製品の競争力は生産技術の良否に大きく左右されます。加工精度のばらつきなど、各メーカー精魂尽くして管理、向上に努めないと安心できる製品を供給できなくなります。生産機械などの設備投資が必要な場合もあります。一方電子回路を多用する製品では、製品の質は、安心できる素子メーカー選びに依存するところが大きくなります。言い換えれば、よい素子を購入使用すれば、常にほぼ同一の製品を供給できます。

製品企画が競争を決める

 メカニズム製品の競争は「ある機能を、どのように上手に製作するか」という比率が大きいのに比べ、電子製品の競争は「何ができる、いくらの製品か」ということが製品競争の大きなファクターになります(大きな企業で特殊な半導体を自社生産するような場合は別です)。A社ではできるが、B社の技術ではできないということも少なくなりました。

 電子製品では、意思決定を明確にした製品企画の競争になってきました。成功する製品とは天才が発明する製品ではなく、需要を鋭く見抜いて先取りする「社会性」に先導される時代に突入して今日に至っています。


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